新時代の侵略はメディアという「形のない空軍力」を用いて行われる

中国の新しい「形なき戦略」

 最近の中国の戦略的な動きとして、しばらく前から中国政府が「形のない戦略」を主力として用い始めていることが注目されているが、今回の尖閣諸島を巡る一連の出来事は、まさしくそれが本格的に用いられた事件だったと言える。
 その中国の新しい戦略は「三戦」主義と呼称され、次の3本の柱から成るとされている(毎日新聞10年8月13日)。それらは
・世論戦 =国内および国際世論を中国に有利に誘導する
・心理戦 =相手国に心理的な揺さぶりをかける 
・法律戦 =法的側面で中国の立場を強化する
の3つで、その思想は03年末に「人民解放軍政治工作条例」に加えられて、これからの中国はそれを柱とする「形なき戦略」を主力にしていくということが半ばはっきり宣言された。そして米国の戦略研究者もそれを「Three Warferes」と呼んで検討に入っていると伝えられている。
 その「形のない戦略」では、無論表に立っているのは中国政府だが、その拡張主義の背後に、力を増しつつある中国経済の存在があるのは言うまでもない。しかしむしろその拡張主義の最大の根源的な力となっているのは、何と言っても中国の国内世論とメディアのパワーの力であろう。


むしろ背後の中国メディアのパワーこそが脅威

 現在の尖閣諸島の問題でも、中国がメディアとネット上で領有権を一方的に叫び立てて日本側の声を圧倒しており、それが「形のない力」の一番の主力を構成していることは間違いない。
 実際に、中国政府の強硬姿勢は、むしろ国内のその力に逆らうことを怖れてのことだったとの見解もあり、だとすればそちらの方が状況はかえって厄介である。つまりもし中国政府の思惑や政治的判断以前に、それが恒常的な圧力として存在しているとなると、政府間の外交努力だけでは限界があり、その本質的部分への対処が必要となるからである。
 しかし実は13年前の拙著「無形化世界の力学と戦略」は、まさにそうしたことを根本的なレベルから論じた書物だった。特にメディアの力を「形のないエアパワー」として一種の空軍力に位置づけ、それを「情報制空権」と呼ぶという点など、中国のそれよりさらに徹底していたと言える。
 同書の出版当時の時点では、そうした主張はまだ周囲の一般常識からはかなり飛躍したものだったが、しかし13年を経て現在、とうとう中国がそういう軍事力を用いない「形のない」戦略に本格的にシフトを始め、そしてその「形なきエアパワー」を中国は東シナ海での権益拡大に露骨に用いようとしているというわけである。


変更が必要となっている「侵略」の定義

 そう考えると、現代世界で領土拡張や侵略が行われるとすれば、それらも軍事力よりもむしろメディアなどの「形のない力」を主力として行われる可能性が高いことになり、そうなってくると、新時代では「侵略」の定義そのものも修正を加える必要が出てきてしまう。
 もっとも過去の歴史を見ると、領土拡張を行っている側が自分から「侵略」という言葉を用いることは滅多になく、それに関する定義を行うのは、もっぱらそれを受ける側の国の仕事である。つまりそれは日本側などによって、中国の「三戦」宣言と釣り合いをとる形で行われる必要があるというわけである。
 要するに日本としては、「新時代の侵略は、メディアという『形のないエアパワー(空軍力)』を主力にして行われる」という新しい定義を採用し、それを何らかの斬新な方法で国際社会に流布・定着させていくことが必要だというのが、この稿の内容である。

そのため以下
 1・「侵略」の概念はどう変わるか
 2・中国メディアのエアパワーは何機分の航空戦力に換算されるか
 3・これをCGで絵にすることの日本側のメリット
の順に論じていくことにしよう。


1・「侵略」の概念はどう変わるか



歴史は何をもって「侵略」と呼んできたか

 その前に、そもそも歴史の中では何が「侵略」と定義されてきたのかを見ておかねばならない。まず古典的な常識からすると、次の二つの条件が満たされた時に、それは「侵略」と呼ばれてきたと言える。すなわち
1・ある国が十分な法的根拠なしに一方的に他国の領土に対して領有権を主張し、
2・暴力的なパワーによる強制力を用いて、相手側の意志を完全に排除し、事実上相手との合意抜きでその領土を自国に編入する。
の2つの条件である。
 従来の世界では、相手国の意志を完全に圧殺できるような力は軍事力だけだったが、新しい世界ではメディアの力がそれに準ずる力を有しており、むしろ容易に使える利点ゆえに、軍事力にとってかわって主力の地位につく形になっている。


メディアの力は空軍力そのものと化した

 もっとも現代世界でそうした「形のない暴力的なパワー」を探すならば、例えば暴走するマネーのパワーなどもその範疇に含まれるかもしれない。しかし一応それでもその経済行為は、名目上は全て売り手と買い手の「合意」のもとに動いていることになっている。ところがメディアが暴走して少数者に襲いかかる時、その最後の一線さえもがしばしば無視されるのである。
 つまりそれは少数者の意志を完全に圧殺して、一切の合意抜きに強者が望みどおりに状況を動かすことができるのであり、その意味では暴走するメディアは、現代の形のないパワーの中でも最も軍事力の暴力性に近い性格をもっていると言えるだろう。そしてそこに電波で空を飛ぶ「オンエア」という性質を加味すると、結果的にそれは空軍力に最も近いものとなっているというわけである。


「情報制空権」なくしては政府も何もできない

 これは現在の国際社会では最も強い力の一つで、実は経済制裁などの手段にしても、政府がそれを採用する際にはそれは必ず自国内にもブーメラン的な損害を与えるため、実は国内外において十分な「情報制空権」(先ほどの言葉を使うならば)が確保されていることが前提なのである。
 逆に言うと今回も、もしメディアの情報制空権が無かったとすれば、中国政府といえどもああした強硬姿勢をとることは不可能だったと考えられる。というより、そもそも現在の中国では政府とメディア(ネットも含めた)のどちらが拡張主義の主力となっているかがわかりにくいのだが、いずれにしてもこれこそが背後のパワーの根幹であることは間違いない。


「三戦」では領土拡大もメディアが戦力の基幹となる。

 そのため現代世界で、もしメディアの力がそのように「形のない空軍力」として軍事力にとってかわり、国際情勢を動かす力の主力の地位についているとすれば、もはや軍事力を用いたものだけを「侵略」とする旧来の常識は半ば意味を失っているはずなのである。
 つまりもしある国が軍事力のかわりにメディアを暴力的に用いて相手国の主張を数の力で圧倒し、結果的に領土拡張を行うことに成功したとするならば、それは間違いなく「侵略」に当たることになり、周辺諸国はそれを正式にそう呼称する権利を有するわけである。


レッテルの有無による決定的な力の差

 そして特に日本の立場からすると、それが「一語のレッテル」として定着するかどうかが一つの壁で、その壁を超えられるか否かが天地ほどの違いを生じることになる。
 それというのも一般に言葉の力というものは、それを「一語」の単純なフレーズにした時にのみ、強烈な力を持つが、二語以上の場合には決してそうならないという性質があるからである。つまり政治的主張は「一語のレッテル」になることで初めて魔物のような打撃力を帯びるのである。
 そして過去数十年間の日中関係では、まさにそのように中国は日本を制圧するカードとして、過去に日本に貼られた「アジアの歴史における侵略国」というレッテルの力を最大限に活用してきた。
 実際にその力があればこそ、中国は70年代に尖閣諸島付近で海底資源が見つかった際に、一方的にその領有権を主張し始めることができたのであり、恐らくそれがなければ、当時その主張は日本側によって即座に一蹴され、最初からこの問題自体が存在しなかっただろう。


それを利用した中国の戦略

 逆に言うと、レッテルを確保していない主張は無力で、国際社会ではその壁を超えるか否かのみが意味をもつと言っても過言ではない。
 そしてこの問題においては、今までの常識では軍事力を使ったものだけが「侵略」だったため、中国側には自分がそのレッテルを貼られることへの恐れが希薄である。そしてその旧来の常識が壁として存在している限り、中国側は次のような戦略をとることができる。
 つまり中国側としては、その壁ぎりぎりに近づくまで強圧的な圧迫を加え、壁の直前で軟化して引き返すことを繰り返し、その往復運動を繰り返す間に全体を少しづつ前進させていけばよい。そうすれば、徐々にかじり取るような形で長期間かけて「三戦」を着実に推進させていけるのである。


日本外交は後半戦でも完敗か

 こうしてみると、今回の尖閣諸島での中国の戦略は、まさにその実例そのものだったと言える。つまり中国は前半で強圧的な圧迫を加え、外交上の(中国にとっても予想以上の)勝利を収めた後、壁ぎりぎりで軟化に転じた。
 そのためこのままの状態で鎮静化に持ち込むことができれば、後半も完全な成功だということになるだろう。こうしてみると実は表面的な印象とは異なって、日本側にとってはむしろ後半戦こそが大事だったのであり、帰り道こそが中国の弱点だったのである。
 つまりこの状態で鎮静化してしまうことは、実は中国側に安全な撤退を許してしまうことを意味するわけで、それを考えるとどうやら日本外交は二重に敗北していたことになるのではあるまいか。おまけに日本側はそれに乗じてこの壁を超えることに関しては、ほとんど成果を収められずにいるため、まさに前半・後半ともに中国の完勝だったと言わざるを得ない。
 とにかく中国側としては、この壁の存在を最大限に活用し、このような行動パターンを繰り返していけば、いずれ目的を達成しうるというわけである。


弱点の数をイーブンにできる可能性

 だとすると、仮にもしそうした行動が正式に過去の軍事的侵略と同一に扱われ、歴史においても「侵略」と正式に呼称されるようになるとすれば、その意味は日本にとって小さくない。
 現在の日本と中国の立場を比べると、日本側が領土防衛という弱点を抱えているのに対し、中国側はそうした弱点をもたない。ただでさえ基礎条件がそのように一方通行的であるのに、その上さらに中国側は、過去に獲得したレッテルの優位を活かして日本側を空から制圧できる状態にあり、逆に中国側は旧来の常識の壁に守られて、そういうレッテルを貼られる恐れはない。
 ところがもしその常識の壁が取り払われるとすれば、中国側は過去に日本に貼ってきたのと同じレッテルを自分が貼られてしまう恐れが出てくる。
 そうなれば、今まで中国が日本に対して一方的に使えたそのカードが相殺されて、事実上無効化されることになるだろう。中国にとっては、それを失うことは長期的に見て、日本が尖閣諸島を失うことに劣らないほどのダメージになり、双方が一個づつ弱点を持つ形で、戦略的立場はイーブンになる可能性があるのである。
 そのためその常識の壁に穴を空けて、言葉の「一語の魔力」が中国側にも及ぶような形に持っていくことは、実は日本側にとっては想像以上に大きな意味を持っていると言えるわけである。

(以下、「2・中国メディアのエアパワーは何機分の航空戦力に換算されるか」>> [id:pathfind:20101018]に続く。)