3・これをCGで絵にすることの日本側のメリット

(この記事は、前出の記事の続きになります。
* 1・「侵略」の概念はどう変わるか >> [id:pathfind:20101007]
* 2・中国メディアのエアパワーは何機分の航空戦力に換算されるか >> [id:pathfind:20101018]
* 中国メディアの規模をCGで可視化してみた >> [id:pathfind:20101022] )


 それにしてもこれがもし絵になるとすれば、その印象は強力で、これをCGで絵にしない手はないだろう。先ほどの「現代の侵略はメディアのエアパワーで行われる」という主張も、言葉だけでは国際社会に十分浸透させることは難しいが、それが強烈な印象の画像になっていれば、話は全く変わってくることになる。
 大体日本の場合、人口が中国に比べて圧倒的に少ない以上、どうしても第三国の海外の人から興味をもってそれを見てもらわねばならない。しかし一般に領土問題というものは当事者と第三者での温度差は想像以上に大きく、他国の政治家同士が討議している様子など見ようとも思わないのが普通である。しかしそのように航空機が舞うスペクタクル映像となれば話は別で、映画の予告でも見る感覚で広く見てもらえることが期待できる。
 また日本では大人や知識人は軍事のにおいのするものには関わらないという通念があるが、海外、特に欧米などでは完全に正反対で、むしろ軍事知識のない知識人は幼稚と見られる傾向があって、そのためこうしたアプローチは日本国内の感覚から想像するよりも遥かにスムーズに浸透させられる可能性がある。
 そのためこれは、今までこの種の問題に関して日本側が抱えていたジレンマや弱点を一挙に解消しうる可能性を秘めており、そこでそれらのメリットについて以下に列挙してみよう。


メリット(1)・このアプローチの場合、日本側は政治的に過熱する必要はない。

 従来からこういう問題が起こったとき、日本側はしばしば一つのジレンマにぶつかってきた。それは、こういう状況下では日本側が冷静さを失った対応に陥れば、必ず不利を招いて結果的に自分の首を絞めてしまう。しかしだからといって、消極的に黙っていれば、長期的にはずるずる押されて不利になり、どちらにしても不利になるというジレンマがあったのである。
 しかしこういうアプローチが使えるとなれば、何か主張したいことがあったなら、とにかくそれらを全部航空機の「絵」にしてしまい、それらを魅力的な作品にしていくことにエネルギーの全てを振り向ければよいのである。
 そもそも領土問題はとかく水掛け論になりやすく、尖閣諸島の問題を単なる言葉で「メディアパワーを使った侵略だ」と騒ぎ立てるだけでは効果が薄い。そして日本人はこういう場合、冷静さを失って暴走し、かえって逆効果になりかねない。
 しかしこの場合には、必ずしもそうした政治的主張は前面に出す必要はなく、それらは背景の中にさりげなく描き込んで、長時間をかけてイメージの奥底に沈殿するようにした方が効果がある。そしてそれを世界中の航空機マニアなら誰でも見たがる絵にして、それを動画あるいは静止画として、海外にも配信していけばよいわけである。


かえって最も安全なガス抜き手段

 あるいはこういうCG映像を作ったりすること自体、日中間の対立を煽る行為とみる向きもあるかもしれない。そしてそんな「寝た子を起こす」真似をするより、台風一過を待って無言で耐え忍ぶ方が得策だという見方もあるかもしれないが、歴史の経験からすればむしろ話は逆である。
 大体において日本人はあまり直接的にデモなどの行動に走らず、しばらくの間は黙って耐えることが多い。しかしその忍耐がある時点に達すると、突然デモなどの合法的手段を飛び越えていきなり陰湿な暴力的手段に訴えるというパターンに陥りがちである。
 そしてその結果、かえって周囲から犯罪者のレッテルを貼られて国際的にも孤立し、商売の上の損害もかえって大きくなるというのが、今まで何度も繰り返されたことだった。
 確かに目先の商売を円滑にするために、相手側を刺激するような行動は極力避けたいというのはわからないでもない。しかし安全なガス抜きの手段が全くないというのは、逆に非常に危険な状態で、長い目で見ると、完全に受身に徹して耐え抜くというのは、実は決して賢明な選択ではない。むしろ何か安全なアプローチを適度に採用することは、消去法で見ると存外一番安全な安全弁を提供することになる可能性が高いのである。


メリット(2)・日本が初めて「映像イメージ」での不利を相殺できる

 そして以前にも述べたが、これによって日本側は今までの「有効な映像素材を持たない」という不利を解消していけることになる。この場合、動画の形で配信できればベストだが、ディテールさえしっかりしていれば静止画でも十分で、無関係な第三国の人でも、ちらりと一目見るぐらいはするのが普通の反応である。
 これは一つ一つはそれほど効果がなくても、一種のライブラリーとして着実に蓄積されていくため、長期間続けていると塵も積もれば山となるで、それは相当な力になるはずである。


・メリット(3)日本の青年のデモなどを組織化するパワーの弱さが響かない。

 国民性の問題もあるのかもしれないが、とかくこういう事件が起こると、中国の青年は割合にすぐにデモなどを組織化して積極的にアピールを行うが、日本の青年はその能力やパワーにおいて中国の青年に遥かに劣るという弱点がある。それが冷静さなのか単なる消極性なのかは判別しにくいが、とにかく結果としてその消極性が不利に働いている部分があることは否定のしようがない。
 しかしこの場合にはその弱点が響かない。確かに日本には外に出てデモに参加しようという青年は少ないが、家にこもってそうした作品を一人で職人的に作ろうとする青年なら、質・量ともに中国側よりも多い。そのため一旦そういう流れが確立すれば、むしろ情報を広く海外に発信することができ、そのCG映像はデモ行進の絵などよりも面白いので、やり方次第ではむしろ中国のデモよりも広い人に共感をもって見てもらえることが期待できるのである。
 つまりこの場合には、秋葉原などに蓄えられている力をこのための戦力に転用するという、これまでの常識では考えられなかったアプローチも可能になってくるわけで、それが主力となっている状態を想像するなら、必ずしも中国に負けないという予感も生まれてくるのである。


メリット(4)・日本側が「冷静さが強さになる」立場に立つ

 そしてこのアプローチが主力になるとすれば、その作業自体が国民に冷静さを要求するようになると考えられるのである。
 この場合、とにかく海外で広く見てもらえるということが最も優先するのだが、プロパガンダのにおいがつくとそれが難しくなる。大体、過去の名作戦争映画を思い出せばわかるように、一般にこういう「絵作り」に際しては、余りにもえげつなく相手側を格好の悪い悪役として描こうとすると、第三者が見て魅力がなく、結局人気は得られない。
 この場合も同様で、むしろ政治的な関心は二の次にして、もっぱら航空機マニアとしての感覚や趣味を全開にして、敵側である中国側の航空機も「悪の魅力」をもつ格好の良い機体として描こうという情熱の方が、かえって強い力を持つことになる。
 そして政治的メッセージは、背景の中に大体10回に1回ぐらいの割合でさりげなく描き込むぐらいが最も効果的なのであり、その意味では冷静な態度の方が効果が高いのである。
 しかしそれはこの問題に対する無関心や消極性にはつながらない。むしろ中国側がもつ問題点を正確かつ冷静に捉え、それをクールな「敵メカ」に表現しようとする高い情熱が要求され、むしろ一種のプロとして積極的にかかわる精神だけは育てることにつながるのである。


新しいフェアプレー精神の確立

 そこでむしろこのさい、それを一歩進めてここではそれに携わる人間の中に一種のプロの武人に似たフェアプレー精神を伝統として確立し、そこに徹することを考えるべきではあるまいか。
 とかくこの種の事件が起こると、無関係な相手国の建物に投石したり、罪も無い相手国の少女に嫌がらせをしたりということが起こりがちである。しかし日本においては「一般市民に無用な暴力を向けず、純粋にそうした映像技術だけで勝負する」というフェアプレー精神が確立されており、ネットの中でさえそれが主流になっているとなればどうだろうか。
 それは恐らく中国のネット社会内部とは対照的で、それは手法の斬新さと相俟って海外から驚きと好感をもって見られる可能性があり、それは長い目で見ると大きな力となることが期待されるのである。


・メリット(5)観光との両立という難題の解決

 そのように、国内のフラストレーションをそこに昇華させていくことができれば、「観光・通商と国土防衛の両立」という解決し難いジレンマにも光が見えてくる。
 つまり中国でどう反日が盛り上がろうとも、日本ではこういう形で反撃を行うことに専念しているため、日本に観光に来る中国人が嫌がらせを受ける心配がほとんどないという状況を作り出せるわけである。
 そういう安全策が確立されておれば、日本国内ではどれほどこれが盛り上がっても、ほとんど観光などに障害が及ぶ恐れがない。現在の状況を眺めると、日本国内では知的エネルギーを下手に日中問題に振り向けると、それらに打撃を与えるのではないかと心配して及び腰になっているようにも見られるのだが、この場合には安心して知的エネルギーを全開でそこに振り向けることが可能になる。


・メリット(6)中国側の攻撃を逆手にとれる。

 従来だと、日本側が1の力で主張すると、中国側が10の力で反撃してきて、とにかくその数の力で到底勝ち目がなかった。
 しかしこの方法の場合、まず最初の時点では、中国側はこのアプローチの長期的な意義に気づかず、特に攻撃目標にする必要性を感じない可能性が高い。つまりそれまでの間は一種の時間稼ぎができて、十分な準備を整えられるわけである。
 そしてもし中国側がメディアで暴力的な攻撃をかけてきたら、むしろ格好のネタを提供してくれたと思って、それらも片っ端から「絵」にしてしまえば良い。
 つまりこちらは冷静に「絵作り」に専念し、むしろ中国側の強さを逆手にとってこちらの強さに変えてしまえば、長期的にはどんどんこちらが有利になっていくわけである。
 これはネット上でサイバー攻撃をかけてきた場合も同様で、こういう場合、もし海外に映像を見てもらえるファンがいて、一緒にその被害を受けたとすれば、それらの人々も共通の被害者としてこちらの立場に共感してもらえることになり、それも力に変えることができるわけである。


秋葉原パワー」と「憂国シニア層」をつなげることが最大の鍵

 では現在の状況で、これを現実に動かすためには何が最も重要になるだろうか。結論から先に言うとこの場合、「秋葉原パワー」と「憂国シニア層」をつなげることが、最大の鍵であると考えられるのである。
 中国の場合、国粋主義の主体となっているのが若者層であるのに対し、日本では若者層は今日明日の自分の生活をどうしようかということに手一杯で、むしろ憂国の情(正しい意味でも)を最も強く持っているのは、経済的な心配のさほどないシニア層である。
 一方、こうしたCG画を作る高い技術力は、何と言っても秋葉原の若者層が持っているはずだが、そこは国際問題の議論の場としては社会的に認知されていない。つまり秋葉原の若い技術力と、憂国シニア層の情熱や社会的な力が全く離れていることが弱点なのであり、逆に言えばそこが何らかの形で結びつけば、大きく前進を始めると想像されるのである。


将来の可能性

 そして将来的には、純粋に作品としてレベルの高いものは、ネットの人気投票でギャラリーに並べて、海外へ向けて容易に配信できるようにし、さらに特に優秀な作品に対しては、国内の比較的裕福な、憂国の情の強いシニア層などがカンパして支援するような体勢を作っていけばどうだろうか。
 これはそれほど大規模な資金である必要はなく、シニア層から見ればほんの僅かな金でも、秋葉原のそうした若者層にとってはしばしば大きな恵みの雨で、その面で「費用対効果」は非常に高いものがあると想像される。
 こうした映像は、よほど特殊な技能をもった者にしか作れないと思えるかもしれない。しかしやってみると、意外なほど簡単にアマチュアでも作れてしまうのであり、極論すれば、やる気と工夫だけが問題なのである。
 そういう場合、シニア層の僅かなカンパが、その力を覚醒させる呼び水として馬鹿にならない力をもっており、もしその規模がある程度にまで拡大すれば、そういう能力を持つ若い層の新しい引き受け先の一つとして育っていくことも十分あり得る話で、そうなればまさに一石二鳥である。
 確かにそれらは一つあたりの力は微弱で、政治家の発言の数百分の1程度の力しか持たない。
 しかし先ほど述べたように、それは海外での浸透能力はむしろ高く、そして時間をかければ確実に蓄積していって、時間と共に力を増すことになる。
 そのためこれが軌道に乗れば、ある時点で確実に政治家の力さえも上回ることが十分期待され、日本の外交下手をカバーできる可能性も十分にあると考えられるのである。