2・中国メディアのエアパワーは何機分の航空戦力に換算されるか

 さて中国の新しい「三戦」の戦略思想で、メディアの力が実質的に空軍力と同様の存在に膨れ上がり、「形のない戦争」の主力として尖閣諸島周辺にも進出してきているというわけだが、ここでもう一歩大胆に踏み込んで、一つ面白いことを考えてみたい。
 それは、その尖閣諸島問題に動員されている中国のメディアの力は、もし航空戦力に換算したならば、一体何機分ぐらいの戦力になるのだろうかということである。
 いきなり途方もないことを言い出すようで恐縮だが、実は先ほど述べたようなことを行うに際しても、その数字は馬鹿にならない重要性をもっていると考えられるのである。そこで以下にそれを少し見てみよう。


言葉だけでは超えにくい「最小語数の原理」の壁

 以前にも述べたがこの場合、日本にとっては中国の直接軍事力を使わない行動に「侵略」というレッテルを貼れるか否かが一つの鍵となる。しかしそうしたレッテルの攻略を行うためには、実はそれを下から支援する「絵」がどうしても必要になるのである。
 そもそも言葉の議論だけでその攻略を行うことは非常に難しい。それというのも一般にそこには防御側を一方的に有利にする仕掛けが存在しており、先にレッテルを確保した側はその利点を活かして相手側の反撃の頭を押さえ続けることができるからである。
 そのためしばしば、最初の時点の優劣が何十年もそのまま維持されるということが起こるのであり、実際に日本が数十年間、そこから脱出できないのも基本的にはそれによるのである。(この話自体は本題から外れるのでここでは省くが、それは「最小語数の原理」というものに基づいており、その原理の詳細は「無形化世界の力学と戦略」に詳しいので、そちらを参照されたい。)


「絵」の素材でも日本側が不利

 そのためいずれにせよ、何らかのイメージ戦略によって十分に地ならしをしておいて、十分に外堀を埋めてから本丸に迫るというアプローチを採らざるを得ない。
 ところが現在、その肝心な「絵」に関しても日本側は有効な素材をもっておらず、逆にそれを持っているのは中国側である。つまり中国側は自分が不利になってきたら、過去の太平洋戦争時代の大量のモノクロフィルムをイメージ戦略の素材として用いることができる。
 それらは多少陳腐化しつつあるとは言え、中国の官製メディアとネットが一致して動ける主題としての意義は失われておらず、日本側には今のところそれに対抗しうるだけの強力な「絵」のストックが十分にないのである。


CG画像を作って対抗する

 しかしそういうことなら答えそのものは単純である。要するに中国側が大戦中のモノクロフィルムを引っ張り出してくるなら、日本側はそれに対抗して、強圧的な中国メディアの力を一種の空軍力として描き出し、航空機の大群が空襲を加えるCG映像をどんどん作って海外に配信すればよい。
 確かに一応それは上の問題に対する一つの答えにはなるのだが、しかし単にその程度のことでは十分な効果があるかどうか、まだ少しばかり心許ないと言わざるを得ないように思われる。
 とにかくこの場合、海外で見てもらうということが何より大事なのだが、そもそも他国間の領土問題という話題は他人事として関心を惹きにくい。そのため第三者の外国人の立場から眺めると、単に飛行機が爆弾を落とす絵を見せられてこれが中国のメディアだと言われても、それは唐突な比喩に過ぎず、新手の大袈裟なプロパガンダにしか見えない可能性が高いのである。そのためこの絵が説得力をもつためにはもう一ひねりする必要があるだろう。


データベースに使える絵なら人は見る

 ではどうすれば良いかというと、この場合もし科学的に「中国のメディアが航空機何機分に相当する力で国境線を圧迫しているか」がきちんと数字になっていれば、その絵は単なるプロパガンダであることをやめ、一種のデータベースとしての価値を帯び始めるということである。
 つまり今までは中国のメディア規模などについて知りたい場合、無味乾燥なデータ図表などでしか把握できなかったが、もしそれが航空機何機分なのかの数字がわかっていれば、それをCG画像の中に航空機の機数の形で正確に描き込むことができる。そしてさらにメディア戦略の特性などもそこに描き込まれていたとすれば、図表のかわりにCG画像を眺めることでそれらを一目で把握でき、領土問題などに関心のない人でもそれを一種のデータベースとして活用できるだろう。
 そうやって使ってもらっているうちに「中国メディア=航空戦力」というイメージが無意識に頭の中に定着し、いわば外堀を埋める形で、次のステップのための着実な地ならしをしてくれることを期待できるわけである。


不可欠な「機数換算」というブレークスルー

 もしそういうことができるなら、日本語という言葉の壁がないため海外への配信も容易で、第三国でも広く見てもらうことができるだろう。また一般に言葉だけの議論はちょっとした反論ですぐゼロにリセットされてしまって、内容ごと忘れられやすいのに対し、絵やイメージ映像の方が言葉よりも頭の中に残り、長時間をかけて蓄積され易いメリットもある。
 しかし無論そのためには一種の技術的なブレークスルーが不可欠で、その「機数換算」のメソッドをどれだけ「科学的」な形で確立できるかが大きな鍵となる。実際問題「メディア1局での何時間のオンエアが何機分の力をもつ」というところまで精密に換算されていないと、どうしても説得力が生まれないのである。
 そのため今度は、そんな常識外れのブレークスルーをどうやって達成するかという難題にぶつかってしまうのだが、ところがそのために使えるような手法が、実はすでに「無形化世界の力学と戦略」の中で確立されていて、ここでそれを使うことができると考えられるのである。
 同書で行われていた分析は、ベルリンの壁崩壊に関する話だったが、それは中国にも十分転用することが十分に可能なのであり、次にそれを見てみよう。

参考・過去の事例=ベルリンの壁と西側メディアの力

 もっとも、そもそもなぜベルリンの壁がメディアと関係があるのかがぴんと来ないという方もあると思うので、まずそこから述べておこう。
 実はベルリンの壁崩壊に際しては、そのしばらく前から西側メディアの電波が、衛星放送などを通じて相当に東側諸国の国内に侵入しており、それが各国内部で政府当局の情報統制を無力化していたと考えられるのである。そのためそれが壁崩壊に大きく影響したということはほぼ間違いないとされ、そのこと自体は一つの歴史的事実として広く認められている。
 言葉を換えると、それらの国の共産政権は当時、一種の「メディアによる形のない空襲」に連日晒されており、ベルリンの壁の崩壊は、その最終的な結果であったとみることもできるというわけである。

 普通の文系の常識だとそこで話は終わりなのだが、理系側としてはそのパワーが具体的にいくらだったかが気になる。特にそれが物理的な破壊力に換算していくらぐらいだったかを知りたくなり、いっそのこと、それが航空爆弾何トンに等しい力で国際社会を動かしたかを計算してみようということになった。要するに早い話、ベルリンの壁の崩壊の際に西側メディアのパワーが及ぼした力の「見える化」である。
 そしてその際に何が最大の関心だったかというと、それはその計算値を過去の「形のある戦争」の歴史データと比較したとき、両者がどの程度一致していたかということである。
 この場合、もしベルリンの壁を壊したメディアの力の値が、過去の「形のある戦争」で同程度の壁や堅固な構造物を破壊するために使われた航空戦力の数字と一致していたとすれば、大変面白い発見で、それができれば現代の形のない戦いを過去の歴史とシームレスに繋ぐことができるようになるわけである。(その話はちょうど現在なら、尖閣諸島を軍事的に占領する際に必要な航空戦力と、中国が軍事力によらない「三戦」で同様のことを行なう際に必要なメディアのパワーが、どの程度一致するかという話のようなものである。)


壁は航空戦力で何機分の力で破壊されたか

 ではその結果はどうだったかというと、同書でそうやって計算したベルリンの壁の数字を、過去の「形のある戦争」で同程度のことを行う際に要求されていた数字と比較すると、少なくとも感覚的には割合に近い値となって現われていたのである。
 その詳細は「無形化世界の力学と戦略」を参照されたいが、これ以外の様々な問題に関しても、両者は大体1.5倍以内の誤差でかなりよく一致しており、この種の計算では一桁や二桁は狂いが出るのが当然であることを考えると、驚異的に良く一致していたと言える。
 
(注・その計算メソッドの妥当性自体は理系世界の議論となってしまうが、とにかくそれはかなり基礎的なエネルギー換算から積み上げられたもので、まず15秒CM1本のオンエアが国境線を動かす力を日本のメディアの広告予算額から割り出し、それが航空爆弾何kgの力に相当するかを算出する。そこから日本の国内メディアの規模が航空戦力何機分に相当するかを求め、続いて各国のテレビ受像機数のデータを介して最終的に東欧までたどり着くという、複雑な手順を踏んで求められている。
 一応その結果の数字も示しておくと、それは航空戦力換算で約570機、投弾量換算で航空爆弾1万7000トンの力でベルリンの壁を破壊したという値となっており、詳細は「無形化世界の力学と戦略」を参照されたい。

 確かに当時はこれはおよそ日本の読者向きではない「ぶっ飛んだ」話題で、どちらかといえば欧米の読者向きのものだったが、むしろ現在の中国問題を考えるとまさにうってつけのメソッドで、逆にこの状況下ではそのぐらい常識外れのスケール感のものでないと役に立たないと考えられるのである。


中国への適用

 それはともかく、そのような計算ができるとなれば、これを現在の中国のメディア状況に適用することも十分可能になってくる。
 つまり尖閣諸島問題において中国が動員している「形のないエアパワー」が、航空戦力に換算すると一体全体どのぐらいの戦力になるのかという数字(それは恐らく密かに多くの人が心の奥底で知りたがっているのではあるまいか)が、これを応用すると正確に計算できることになるわけである。
 そうなればその姿を脅威的な印象と共に正確なCG映像として描き出し、それを海外に配信してデータベースとして使ってもらうことも十分できることになる。そこでそれを以下にやってみよう。
 ただし残念ながら現在、尖閣諸島問題それ自体に対しては、計算に必要なデータが一つ不足しており、それは中国のメディアが現在、これに関する報道に国内メディアの放映時間の何%を割き、合計何時間のオンエアを行っているかの数字である。
 それが手元にないので、さすがに現段階ではそれ自体は計算できないのだが、しかし現在の中国が動員できる「形のないエアパワー」全体が、航空兵力に換算すると一体何機分に相当しているかは、現時点でも一応計算が可能なので、ここではそちらをやってみることにしよう。


現在の中国メディアの航空戦力換算

 先ほどのベルリンの壁の計算では、そこにたどり着くための手がかりとして、まず80年代当時の日本のメディアの規模が航空戦力換算でどのぐらいだったかの値を計算し、続いて日本と東欧のテレビ受像機の台数を比較することで、東欧の数字を求めるという手順を踏んでいた。そのためここでも同様の方法を用いて、現代中国の場合について計算してみよう。
 まず先にテレビ受像機数のデータの方から示しておくと、現在の中国のテレビ普及率は、農村部で100世帯当たり約85台、都市部で100世帯当たり約130台で、中国国内の合計で受像機の数は約4億台と推定されている。それに対して、80年代当時の日本国内のテレビ受像機数は約3300万台である。
 一方80年代当時の日本全体のメディア規模は、「無形化世界の力学と戦略」では
・航空機に換算すると約4300機
という数字として算出されていた。そしてここで、各国の仮想的な機数がテレビ受像機台数にほぼ比例していると仮定すると、中国の仮想的な航空機数は、この日本のメディア規模の数字を先ほどのテレビ受像機台数の数字を用いて拡大すれば求めることができる。そしてそれは、
 (4億台/3300万台)×4300機=約5万2千機
という形で計算されるのであり、要するに

・現在の中国のメディア全体のパワーは、航空戦力に換算すると約5万2千機分の力をもつ。

という衝撃的な数字が浮かび上がってくることになるわけである。
 無論その全部が尖閣諸島に向かっているわけではないが、それでもこの一部が尖閣諸島周辺の制圧のために乗り出してきていることはまぎれもない事実である。


この数字の秘める意味

 これを見るとあらためて慄然とすると共に、ただ単に政府の弱腰をなじるだけでは駄目で、どうしてもこの数量的な力に対抗することを考えねばならず、その認識を踏まえた上で、一種の航空戦略に基づいた抜本的な対応が必要だということが切実に理解できるのである。
 確かにこの「メディアの力が航空機で何機に相当するか」という話は、いきなり聞くと何だそれは、という唐突な印象が強いのだが、逆に一旦その最初の抵抗感の壁を超えてしまうと、その人の頭の中ではもはや「侵略」の定義に関する従来の常識の壁も消滅し、中国の「三戦」のように直接軍事力を使わない領土拡張も、自然に頭の中でそちらに分類されるようになる可能性が高いのである。
 そのためこれはその壁をスムーズに超えさせるための強力なツールとなると期待され、この数字に基づく映像はその浸透力と相俟って、対外的に外堀を埋める非常に強力なカードになると考えられるのである。

(以下「3・これをCGで絵にすることの日本のメリット」>> [id:pathfind:20101027] に続く)